2008年5月28日水曜日

トプコン

東京光学(現・トプコン)は日本光学(現・ニコン)と並んで光学機器軍需産業の雄。会社が板橋区志村坂上にあるのでシムラー(Simlar)なんてライカマウントレンズも作っていた。これは戦後の代表作、トプコンREスーパーのアメリカバージョンSuper Dだ。Beselerという会社経由で売られたので、その名前がペンタ部に刻まれている。元々アメリカ向けにデザインされただけに、堂々とした押し出し、直方体を組み合わせたようなガッチリとしたデザインがアメリカ人の手によく似合いそうだ。シャッター音も堂々たるものだが、余韻がすこし長く、空洞の中でバネの残響がバチーンと続くところが、イマイチ精密感を削ぐ。Exaktaマウントを採用しているので当時多く出回ったドイツのExakta用交換レンズが使える。

ルミックスとVPK

もう手元にはないデジカメだが、最初に買ったルミックス、FX8。これを最初に手に取ったときに、何か記憶にある形だなと思い出したのが後ろに置いてあるVest Pocket Kodak(略称VPK)だ。フタを開くと、下敷きになっている取説の絵のようになるいわゆるジャバラカメラだ。時代も仕組みも全く違うが、手に収まりのいい形を探すと、同じようなところに落ち着くらしい。このVPKは、Model Bというもので、マロリーがエベレスト登山に持って行ったのがこのタイプと言われている。マロリーは帰らぬ人となったので、エベレストのどこかにこれと同じのが冷凍保存されているのかもしれない。谷口ジロー作画の「神々の山嶺」にも出てくるが、だいぶ大きく書かれている。実物はルミックス並みに小さい。カメラとしての性能は、写るんです並でシャッター押すだけ。歴史的登頂の記録用としては、あんまり簡単なカメラのように思うが、軽さを重視して選んだのかもしれない。

2008年5月26日月曜日

三度目の位ヶ原山荘

 今シーズン3泊目となった位ヶ原山荘。一回目は鳥居尾根をラッセルで登った。二回目はゲレンデトップからのツアーコースを登った。三回目は山荘前までバスで来ることができた。今までは何度もつづら折れが続くばかりで、面白みのなかったバスの車窓も、一回目の記憶をたどると、この辺はラッセルが深かったなぁとか、この辺で行方不明者と合流したなとか、楽しめた。雪質も回を追うごとに、パウダー、シュカブラ、ザラメと変化した。今回は、行動ができたのは、登った日の12時半までで、その後はザンザン降り。同宿のガイドツアーの皆さんの宴会をラジオ代わりに聞きながらこたつでウトウト。前2回は、グループで泊まり合わせたので、つい宴会がはずんで晩飯の鹿ナベもおぼろげにしか記憶していなかったが、今回はしみじみと味わうことができた。

 冬は閉じられていたバス停側の玄関は、もちろんオープンしているが、スキーの持ち込みは前と同じく裏の入り口から。今まで、周りの雪を掘り下げた位置にあったのだが、今回は写真のように階段を上って入る。周りに雪があるのは同じだが、雪の深さはこんなに変わっているのだと思い知らされる。山荘の水源はまだ雪に埋まっているらしく、蛇口をひねってもまだ水はでないが、生ビールが飲めるようになったのは大きな変化だった。