2010年3月30日火曜日

奈良にはBD-1がよく似合う

 何年か前に奈良に行ったとき、唐招提寺はちょうど金堂の大改修中で「おほてらのまろきはしらの」並ぶ様を見ることができなかった。昨秋だったか改修が終わったと聞いていたので、今回春の奈良を訪ねるに当たって、まず唐招提寺に行ってみた。この唐招提寺は、薬師寺と並んで西の京の二大観光スポットだが、薬師寺と比べるといつも地味というか学究的というか、対比が面白い。今回の改修も金堂の骨組みまで全部バラバラにした大規模なものだったが、結果は「どこを直したんですか?」と聞きたくなるぐらい元のとおり。この屋根瓦がびしーっと一直線に並んでいるあたりがポイント、なのかな?
 境内を一回りしてみる。風は少し冷たいが、春の花がいろいろ咲いていて楽しい。ここは、鑑真和上の御影堂の入り口。年に一度、数日間だけ和上の像が公開される。高校生のときに見に来た覚えがあるが、和室の一角に思ったより小柄な像がまつってあったような。この建物は旧一条院門跡の遺構を移築した(パンフレット丸写し)とのことで、入り口から見ただけでも格調の高さがうかがえる。



 あたりの風情が自転車向きのように思えたので、車に積んであったBD-1を取り出して、まずは薬師寺へ。あいかわらずにぎわっている。東塔の修理が10月から始まるので、10年間は東塔・西塔の並んだ姿は見られないとか。4−10月は東塔一階の内部も見せます、という人集めをするところがさすがに薬師寺的商売路線。こんな案内図を見たので西大寺まで走ってみることにする。垂仁天皇陵はお堀が大きく水鳥がたくさん集っている。新興住宅地を抜けてだんだんにぎやかなあたりに近づいて、ふと横を見ると西大寺の東門だった。
 東大寺と並び称されるが、西大寺に来たのは初めて。近鉄の駅があるので名前には親しみがある。巨大な茶碗を使う茶会があるといううっすらとした記憶。写真は東塔の台座だが、西塔は跡形もない。元は薬師寺の様に東塔西塔に金堂を配したパターンだったようだが、その様子は全く失われている。東塔跡のすぐ脇に本堂があるが、これは江戸時代の建物。だいたい奈良の寺は中国式なのか土足で歩けるスタイルだが、ここは近世の建物なので板敷きになっている。現場では何か変だなと思っただけだったが、後で思うとそういう違いなのだった。次は、遷都1300年記念行事を一ヶ月後に控えて突貫工事が行われている平城京跡。だだっぴろいので、まさに自転車向き。このあたりで道路が渋滞気味なのを見て、いっそこのまま自転車で東大寺まで行ってみるかと思う。
 行き当たりばったりで東に走り、猿沢の池に到着。ここまで来ると奈良に来た気がする。新しくなった興福寺の宝物殿で久々に阿修羅像を見る。鹿せんべい(150円)を買って、手を鹿のよだれでべとべとにしながら、東大寺に至り、大仏殿に参拝。ここはさすがに人が多い。おつりが少ないように大人一人500円と切りのいい数字になっているのがおかしい。「大仏は見るものにして尊ばず」(米朝さんの落語「鹿の政談」)というそうだが、老若男女世界中の人が見物に集まっている感じ。柱の穴の通り抜けも長い行列ができていた。帰りは奈良町からJR奈良駅(高架工事中)、三条通(ところどころ工事中)を突っ走って(自転車向き)、秋篠川沿いの自転車道を走って唐招提寺に帰着。サイクリングとポタリングの中間ぐらいのバイクライドであった。(ちなみにここの自転車道では、車道との交差点で一旦停止とも降りて歩けとも書いてありませんでした。正しい。)

2010年3月11日木曜日

テレマクターンは、ケゾクテキです

 黒姫での初ツアー(前項目参照)の前の年に、同じく黒姫でテレマークスキーの講習を受けた。講師は、アメリカのコロラド州にあるAspenから来たNed Ryersonという人で、当時熱心にテレマーク講習を行っていた野尻湖畔のサンデープランニング(吉原校長)が招待して特別講習会を開いてくれた。なかなか印象的な講習会で、講師がほとんど日本語がしゃべれない。言うことは決まっていて、1)手ヲ前ニ、2)ネコゼ、3)テレマクターンハ、レゾクテキ、ケゾクテキデス、ぐらいしかない。最後のは連続的、継続的つまりcontinuousということで、前後に足を開いたいわゆるテレマーク姿勢にガチッとはまり込むのではなく、常に動き続けろということ。当時は、前後の開きはどれぐらいがいいとか、荷重のバランスはどれぐらいだとかの議論がさかんだったが、そういうことはとりあえず気にせずに、体の動きが大事というのはかなり革新的だった。今振り返っても、この3つのルールは正しいし、別にテレマークに限らず、スキー一般の原則だと思う。講習会の前に、吉原さんとニセコに行ってきたそうで、ネコゼとニセコをときどき言い間違えるのがおかしかった。講習が終わると、それじゃ、と言って吉原さんと二人でコブ斜面をさーっと降りて行ってしまうのをうらやましく見送ったものだ。黒姫のゲレンデを滑りながらそんなことを思い出していた。

2010年3月8日月曜日

黒姫ウィークエンド

 土曜はてれまくり2011に参加。雨のイベントになってしまったが、今年はレースなどには参加せず、試乗とテント村での交流に専念。雨がふるとスタッフは大変だが、参加者は気楽である。Magic Mountain扱いのMovementブランドの板を二種類試乗。ExcaliburやMegaなど往時の名テレ板のメーカーTUA社の技術がベースにあるとのことで、軽いのにしっかりした切れのよい乗り味。期待できそう。G3社のTECHビンディングはかかとをフリーにすると、板と靴が完全にブラブラになるのを初体験。すごく変。やっぱりATはなにかと窮屈なのでたぶんずっとテレでしょう。Mammutのマンモスが見下ろすテント村はほとんど商店街。以前に栂池の天狗原で会った自作板物理学者イタリア人が来ていた。今はつくばの研究所に勤務中とか。夜のパーティーの最後の打ち上げ花火が、少しもやのかかった夜空に映えてたいへん美しかった。泊まりはペンションらんたん。協賛の宿から適当に選んだが、friendlyな奥さんがとてもいい感じで、ペンションらしい快適な宿だった。
 夜の間に湿った雪が20cmぐらい降った。スキー場トップから黒姫山を目指す。私の初バックカントリーは、1988年に黒姫でテレマークレースのサテライトとして、カリブークラブのサポートで「黒姫北斜面を滑ろう」ツアーがあり、これに参加したとき。そのときは、シールははがれるは樹林は滑れないはで、服のあちこちにつららをぶら下げながらほとんど「階段下降」で降りてきた。黒姫はその後行ってないので今回はいわばリベンジ(遅すぎ)。雨でたたかれた硬い雪面に重い雪が積もったので、たいへん崩れやすい状況。雪が荷重を支えきれず板と一緒に硬い雪面の上をずり落ちるので登りにくい。スキーアイゼンを使うと下の硬い層に刺さるので安定して効率よく登れた。ほどほどの間隔の樹林帯をたんたんと登り稜線に到着。
 くだりルートは、途中で会ったてれまくり参加者パーティーから教えてもらった情報で、東尾根を1396m台地まで降りてから左の沢に入ることにする。稜線直下はガリガリと音を立てながら雪崩とともに降りる。写真はその下のダケカバ帯でこの辺から滑りが楽しくなる。さらに下がった1700m-1500mぐらいのブナ林は樹間がひろく良い雰囲気だった。1396m広場は老若のブナに囲まれたよいところ。谷も上半分ぐらいは広い斜面で楽しめる。途中からは1箇所滝があったり、数回スノーブリッジで川を渡るところがあったりで、状況によってはアブナイときもありそうだ。そのまま尾根を直進するのもよいらしい。登りのラッセルや、べとついた雪の滑りでかなり足腰は疲れたが、気持ちよくスキー場に滑り込んで終了。みごとリベンジ(あるいはトラウマの克服?)を果たすことができた。同行の伊藤さんのブログと、動画あり〼。

2010年3月5日金曜日

桑名の殿さん、しぐれで茶々漬け。。。

 愛知県から三重県に入ったところが桑名。いつも通過するばかりだったが、休日朝のお決まりの四日市渋滞を避ける意味もあって、ちょっとおりて自転車ポタリングをしてみた。城跡の九華公園駐車場からBD-1で走りだすとすぐに七里の渡し跡。昔の東海道は、桑名と熱田の間は船を使ったのだが、ここが桑名側の船着き場。今も揖斐川から市内に続く水路の出入り口になっており、水路にはモーターボートが係留してある。ほかにも水路があり、桑名は水辺の街という印象。渡し跡から東海道がのびており、標識が整備されている。なかなか風情がある。
 東海道をしばらく走り、また平行する水路沿いの道を戻る。明治時代に商売で儲けた諸戸家の屋敷や庭園が残されている。六華苑はその一部で、ジョサイア・コンドル設計の洋館が整備・公開されている。和式の屋敷とつながって建てられており、一階、二階ともに行き来できるようになっているのが面白い。また、庭園も芝生広場と日本庭園の組み合わせになっている。芝生広場を見下ろす二階のサンルームは最高に気分がよく、しばらく住んでみたくなった。
 建物の右端に見える塔の内部は、このように隣の部屋とつながっている。ここがまた隠れ家っぽくて居心地がいい。窓の外を眺めながら本でも読むと、時のたつのを忘れそうだ。洋館には、暖炉の脇とか階段下に、こういう隠れ家スペースがあることが多い。元々は3階建てだったのを、揖斐川が見えるように4階に建て増ししたのだそうだ。残念ながら公開されているのは2階までだ。4階からの景色が見てみたい。表題の元ネタはこれ。便利ですな、YouTube。