2020年1月24日金曜日

2代目のTLTセット

軽量化著しいTLTスキー道具に最初に手を出したのは、2011年1月なので、もう9年前のことになる(そのときのブログ。当時はまだDynafit社のパテントが生きていたので独占状態だったが、今や百花繚乱。このシステムの特徴は、それまでの山スキービンディングでは、靴を支える土台(板や棒)を別に用意してそれをスキー板に固定していたのに対して、靴がプラスチック製になり剛性が上がったのを活かして、靴を直接板に固定することにより著しい軽量化を果たしたことだ。考案したFritz Barthelが大学生の頃モンブランに登ったときに、余りにも道具が重いのに辟易して思いついたそうだ(Barthelのプロトタイプ)。“Progress is made by lazy men looking for easier ways to do things.”というのが彼の名言。商品化に先立ってつけた名前が Low Tech”で、当時1980年代は、なにかというとハイテクばやりな中、それに逆らってつけたらしい。商品化のために選んだブーツがDynafit Tourliteだったことから、Dynafit社での開発が始まり、セイフティーリリースを組み込んだ基本形ができて、Tourlite Tech(=TLT)と呼ばれた。「Techビンディング」というのが今では一般的だが、元はと言えばあえて「ローテク」と呼んだへそ曲がりっぷりに由来していると思うとおかしい。(参考)(考えてみれば、クロカンやテレマーク(特に3ピン時代)は靴の爪先だけを板に固定していたわけで、1980年代にはテレマークの普及が始まっているので、Barthelのアイデアに影響を与えていたかもしれない。)

昨年の試乗会「フリーエ」で、山岳スキーレース用の超軽量の板を試乗して、これで充分どこでも滑れそうなので、軽量ビンディングと軽量ブーツと合わせて試してみることにした。板はVoile WSP (Wasatch Speed Project) で、160cm 84-63-72。重さはペアで1.58kg!ビンディングを付けてもペアで2.2kg(前回のセットは3.15kg)。靴も片足300gぐらい軽い。


まだゲレンデを滑っただけだが、なんと言っても軽い!スケーティングが軽快。滑りは、当初ブレが大きかったが次第に慣れて気持ちよくカービングできるようになってきた。板の細さと剛性のバランスが良いのか、エッジング感覚がたいへんダイレクトだ。山岳レース板は、初期はとにかく軽くて移動できればいい、的な設計だったのが、滑り性能も上げる傾向にあり、この板のようにトップロッカー形状にしたものも多い。靴はScarpa F1で、最近ではレース専用のもっと軽量なものも多数あるなかでは、もはやツアー靴という位置づけだろう。F1は一時、歩行用にバックルを緩めるのと前傾固定の解除とが一動作でできる仕組みにこだわっていたが、不具合があったため、両者が独立に操作できるようになった。私は前傾固定をしないで滑るのが好きなので、これで買う気になった。シェルもインナーも薄い作りなのに、履き心地もなかなか快適だ。ツアーシーズンが楽しみだが、うらめしいのは今季の少雪。なんとかなりますように。

(2021.5.16追記:先日、蛇腹のあるF3ブーツとこの板の組み合わせで燧ヶ岳に登ってたいへん快適だったので、くだりはテレマークができないかと工夫している。クトーの爪を切り、板から浮かないように固定できるようにした土台にTTSのケーブルをセットしたものを、下りのときだけ取り付けてTTSのようにテレマークターンをする、というアイデア。現在、試作と思考実験を継続中。)

2019年11月25日月曜日

大杉谷から大台ケ原

 大台ケ原は自動車で手軽に行けるが、それでは有り難みが薄いので、行くなら大杉谷からと思っていた。高校時代にワンゲル部長のI君が夏休みに行った話を聞いてうらやましく思って以来なので、47年越しの懸案?!ということになる。 5年前に、それまで10年ほど道が崩れて大杉谷が通れなかったのが、やっと通れるようになったと聞いて、その気になって宿やバスの予約までしたのだが台風が来て行けなかったことがある。今回11月中旬のシーズン終わり間近になってやっと実現できた。雨が多い山だし、小屋の混む季節はいやだし、公共交通機関の予約は必要だしで、なかなか思い立ってすぐ、とはいかない。

名古屋から紀勢線の特急ワイドビュー南紀1号で三瀬谷という駅まで行き、ここから登山口まで予約制のマイクロバスに乗るのが旅の始まり。帰りは大台ケ原からバスで降りて来れば、長い下りで足を痛めることもない。このバスに乗るのはだいたい同じ行程の人達だ。途中の登山センターで入山協力金1000円を払うともらえる大杉谷の焼印の入ったキーホルダー(ヒメシャラかヒノキ製)が良い記念になった。
発電所の脇から歩きだすと、いきなりこんな岩を削った鎖の手すり付きの道に出くわして驚くが、よく整備されているので落ち着いて通れば危なくはない。
向こう岸の高いところから落ちてくる千尋(せんぴろ)の滝。初日は冬型気圧配置なので寒さを覚悟したが、意外に穏やかな天候で、汗をかきながら登る。初日は標高差は少ないが、岩場のアップダウンがそこそこある。
吊橋もたくさん渡る。これは平等グラ吊橋。右手の断崖が、平等グラという大岩の一部だ。スケールの大きな景観が大杉谷の持ち味。

平等グラの全貌。でかいおむすび型の岩だ。高さ100m以上ありそうだ。大台ケ原周辺谷は地質的には水成岩(砂岩、頁岩)にチャートがところどころ筋状に入り込んでいるというのが基本で、大杉谷は侵食されにくいチャートが崖や滝を作っているそうだが、さてこれはどんな岩でできているのか。
吊橋を渡って今夜の宿の「桃の木山の家」。昭和15年に近鉄(の前身)が登山道整備と合わせて作ったのが始まりだそうだ。たくさん泊まれそうだが食堂は小さめ。風呂もある。
朝はさすがに寒いので7時にゆっくりスタート。その日に大台ケ原を2時半か3時半に出るバスで帰るというのが一般的らしいが、僕らは大台ケ原でもう一泊するので急がなくていい。最も美しいという七ツ釜の滝。
深く透明な水と白い巨岩のコントラストが美しい。イワナがのんびり泳いでいた。堂倉の滝で大杉谷から離れて尾根を登り始める。大台ケ原山頂の日出ヶ岳まではここから900mほどの登り。途中、350m登って林道に出たところに粟谷小屋があり、宿泊もできる。
尾根の上部はシャクナゲがたくさん生えていて、5月下旬の盛りの頃は美しいそうだ。空が広くなり日出ヶ岳が近づく。やっと山頂、とも思うし、もう終わりかと惜しくもある。
日出ヶ岳山頂には木造の展望台が建っている。登ってきた方を振り返ると尾鷲あたりの熊野灘が見下ろせる。海に近い山なので雨も多い。きれいに整備された遊歩道をたどって大台ケ原駐車場に降り、上北山村売店で食事したり、ビジターセンターでゆっくりしてから宿に入った。「湯治館」というが、沸かし湯なのであまりのんびりできないが、食事はたいへん美味しかった。


翌朝は再び日出ヶ岳まで登ってから、正木ヶ原の枯れ木地帯を歩く。本来は針葉樹と苔に覆われた山だったのが、1959年の伊勢湾台風などで木が倒れ、乾燥が進んで笹原となり、針葉樹の森が回復できずにこのような景観になったそうだ(看板)。自然のバランスは微妙だ。

最後はお約束の大蛇グラ。大台ケ原の穏やかな地形も端のところでは急な崖となっている。右手隣の岩壁ではクライマーの姿もあった。
2時半のバスで大和上市に降り、近鉄電車を乗り継いで、7時半に名古屋に戻った。スマホの発達で、時刻表のチェックや指定席を取るのも手元でできるようになり、公共交通機関の旅もずいぶん便利になった。

2019年11月8日金曜日

倶留尊山

名張の南に「室生火山群」とか「曽爾(そに)の山」というエリアがあり、火山特有の景観が面白いので近畿のハイカーに人気がある。倶留尊山(くろそやま)はその代表格。大阪住まいの高校生だった46年前の年末に、Nくん、Hくんに付き合ってもらって雪を踏みながら登った思い出がある。11月初めに登ってみた。

山の南にお亀池という湿地があり、一帯はススキの草原になっていて、すぐ近くまで車でアクセスできる。昔に比べるとずいぶんススキが減ったそうで、復活の試みもいろいろされているとか。
お亀池から亀山峠に向かって登る。向こうに見えるのが国見山・住塚山と屏風岩。これも火山だ。亀山峠は東海自然歩道が通っていて、ここまでぐらいが軽いハイキング。
峠から稜線を北上すると二本ボソというピークで、そこで入山料を取られる。二本ボソから見た倶留尊山。倶留尊山まではわりとアップダウンがある。山頂からは遠く大台ケ原がうっすら望まれた。周りには、大洞山(おおぼらやま)や三峰山(みうねやま)などの昔登った懐かしい山々。
倶留尊山東麓を回る周回コースを取ることにして、山頂からそのまま北に縦走を続けて西浦峠に向かう。途中、少し寄り道して三ツ岩で倶留尊山を眺める。東側は崖になっていて、お亀池あたりののどかな景色と一味違う。46年前は北麓から登りだして、西浦峠から山頂に向かったと思っていたが、記録を読み返すと道を間違えて直接倶留尊山に向かう尾根をたどっていた。従ってこの景色は初見のはずだが何故か見覚えがあって不思議。
西浦峠から東に降りて太郎生(たろお)の集落の上手をたどる。池の平高原というらしい。倶留尊山東面とススキが良い取り合わせ。左端の四角い小さなピークが二本ボソ。
東海自然歩道の石畳道をたどって亀山峠に登り返す。峠は、老若男女で賑わっている。稜線付近に小さく煙が上がっていたり、近くに焦げ跡があるのは、この日行われた草焼き(ヤッキリ焼き)のため。これもススキの復活のための試みの一つだそうだ。駐車場にもどると駐車待ちの車の列がまだ長く続いていたので驚いたが、どうも夕日に映えるススキというのが観光ポイントらしく、駐車場は夕方が一番混むのだそうだ。


この機会に昔のフィルムをスキャンしたのでいくつか貼っておく。キャノネットにネオパンSS。これは倶留尊山頂。当時はほとんど木がなく見晴らしが素晴らしい。
これは確か二本ボソの一角の岩場。高度感があって、自分でも気に入った一枚だった。
その岩場の脇から下を見下ろしたところ。まさに断崖絶壁だったが、今回はこんな場所があることに気づかなかった。
亀山峠あたりはあまりかわらないが、稜線の左(東)側の木が今ではずっとよく育っている。