
You are like the wind, blowing across the land and... passing on. ---The Magnificent Seven, 1960---
2010年10月14日木曜日
RING, RING, RING

2010年9月7日火曜日
たまにはボランティア




2010年8月31日火曜日
温泉と岩尾根




2010年8月25日水曜日
トランス御嶽 =行って帰って=

王滝口は、以前はスキーでの御嶽登山のメインルートで、スキー場トップから田の原に滑り込んで、よく登ったものだが、このところは黒沢口のロープウェイからがメイン。また、田の原からの夏山登山は考えてみると今回が初めてだった。好天に恵まれてずっと背中に日差しをあびながら、動き慣れない体で大汗をかきながら登った。剣が峰が過ぎると人は激減。ひょっとしてロープウェイがやっていないのかと双眼鏡でチェックしたが、ちゃんと動いているものの駐車場はガラガラ。車のままあがれる王滝口が、やはり圧倒的に人気なのだ。賽の河原、摩利支天と経て、五の池小屋に到着。この朝、NHKのテレビ生中継をここからしたそうで、小屋番さんは肩の荷をおろした感じで昼ビールを楽しんでいた。
まだ昼前だったが濁河温泉に向けて降り始める。立ち止まっている人がいるので聞いてみると、オコジョがいるらしい。溶岩の隙間を素早く出たり入ったり。好奇心とこわいのの葛藤的動作(動画)。ずいぶん細長い。長い長い樹林の中の道を、次の日に影響が残らないようにゆっくりと下った。濁河温泉はもちろん車でも行けるが、山から下りてくるのが一番雰囲気があると思った。車が無くてただひたすらのんびりと湯治するしかない午後というのは、たいへんぜいたくで良かった。宿は去年と同じ、濁河温泉ロッジ。今回は高校陸上部の合宿中だった。
翌朝は6時に登り始め。昨日の登りと対照的に静かで涼しい。五の池小屋にまた立ち寄ってコーヒーをもらう。いつもきれいに片付いた小屋だ。今は増築工事中。今度は開田道から登って一泊したい。摩利支天はパスして、そのかわり一の池を回ることにする。一の池の茫々とした眺めや、継母岳方面の美しいスロープ、地獄谷のすごさなど、いろいろ味わい深いコースだ。剣が峰からは20倍ぐらいに増えた登山者をかき分けて降りる。田の原には観光バスがたくさん来ていた。jotenkiさん推薦の王滝食堂で、ノンアルコールビールとイノブタ焼肉定食。脂身がうまい。
写真はまとめてこちら
(追記:2010-11スキーシーズンは、御岳ロープウェイスキー場営業せずとのこと。日当たりと風当たりのバランスのせいか、妙に硬いバーンの多いスキー場なので、BCのアプローチにしか使わなかったが残念。おんたけ2240がリバイバルか。)
2010年8月13日金曜日
NEX-5でよみがえるold lenses
レンズ交換式カメラにおいては、レンズを取り付ける面とフィルム面(デジタルではCCD等の受光素子)との距離をフランジバックといい、カメラの形式によって様々な値になっている。歴史の古いライカなどの連動距離計カメラでは、フランジバックが短いのに対して、一眼レフでは、反射鏡が動くスペースが必要なため、フランジバックを長くしなければならず、レンズの方でいろいろ無理をして長いフランジバックを実現している。連動距離計カメラの方が、写りがいいと言われる理由の一つは、このような無理をしない素直な設計のレンズが使えるということがある。フランジバックの長いレンズを、フランジバックの短いボディーに付けるのは、ゲタをはかせてやればいいので簡単だが、逆はできない。このため、ライカなど連動距離計カメラのレンズが結ぶ像を、一眼レフで実際にファインダーで見ながら撮影することは、長い間叶わぬ夢だった。
昨今、ミラーレス一眼と言われるデジタルカメラが登場し、ミラーを使わずに直接CCDで像を観察しながら撮影するため、フランジバックを短くすることができ、実際ライカマウントよりもフランジバックが短いので、上記の夢が叶うことになった。しかし、先発のオリンパス、パナソニックが採用するmicro-4/3規格ではCCDが小さいので、35mmフィルムに比べて真ん中の半分ぐらいしか撮影できず、50mmレンズをつけても100mmレンズ相当の範囲しか写らないというので、イマイチであった。最近、SONYが作ったNEXシリーズでは、もう少しCCDが大きいので50mmレンズで75mmレンズ相当と、まだ許せる撮影範囲となった。ボディーもコンパクトで、小振りな連動距離計カメラのレンズが良く似合う。どれぐらい実際に使うかはやや疑問ながら、買ってみることにした。
上は、コシナ製28mm F3.5レンズ(Color-Skopar)、左はロシア製50mm F1.5レンズ(Jupiter-3)を、三晃精機製のアダプタを介して付けたところだが、なかなか良く似合う。アダプタを介してオールドレンズを付けるなどというのは、普通メーカーの想定範囲外なので操作性がわるいことが多いのだが、NEXには、ミノルタからソニーに引き継がれたαシステムのレンズもアダプタ経由で付けることができ、この場合もオールドレンズと同様に手動での焦点合わせになるため、このような使い方に対する操作性がよく練られていて大変快適なのがうれしい。ボタン一つで画面が拡大表示されてフォーカシングでき、シャッター半押しで全体像が表示され構図を調整してシャッターを押しきるという操作の流れがスムーズだ。(フォーカシングは絞り開放の方がしやすく、実際の露出時には撮影意図によっていろいろな程度に絞り込むのが普通で、一眼レフではこれが自動的に動作するようになっている。オールドレンズを使うときにはこれも手動で操作しなければならないが、F4ぐらいまでなら絞った状態でもフォーカシングできるのでそれほど不便ではない。)
これは、ロシア製の28mm F6(!)という暗いレンズ(Orion-15)だが、これぐらいになるとピントの合う範囲が広いので目測で距離目盛りを合わせれば充分だ。このレンズ、ビー玉をはめ込んだようなちっぽけなレンズで、見かけはパッとしないが、トポゴンタイプといわれる原理的に優秀な設計形式が幸いしてか、意外にいい写りをする(作例)。フィルムではF値の暗さのためにちょっと使いにくいのだが、デジタルではISO感度が融通無碍に変わってくれるので、何も不便はない。使っていて気がついたのだが、シャッター音がなかなかいい。従来の一眼レフのようにフォーカルプレーンシャッターなのだが、通常は開放していて、シャッターボタンを押すと一旦閉じてから短時間開いて露出し、また開放という動作をする。この複雑な動作がちょっと高級感のある(何か複雑なことをしていると思わせる)作動音につながっているのだろう。今後、エギザクタマウントレンズ用などレアなマウントアダプタも発売されるようで、しばらくは色々楽しめそうだ。



2010年8月10日火曜日
船窪小屋から烏帽子小屋








2010年6月16日水曜日
富士山吉田大沢を堪能





2010年6月7日月曜日
富士は日本一のやま





itokisyaさんのブログと動画もご覧下さい。
2010年5月24日月曜日
三大雪渓(登りのメソッドについての考察)
前に大窓越えをした年(2005年)には、三大雪渓を滑った。剱沢、白馬大雪渓、針ノ木雪渓である。剱沢は、毎年おなじみの通勤路みたいなものだが、残りの二つはそれ以来ごぶさたなので、残雪も豊富そうなことだし、行ってみることにした。
5年前との大きな違いはスキーアイゼン(クトー)を使うようになったこと。最近はクライミングサポートを高く立てて直登に近い登りをする人が多いが(板の幅が広くなり、それにきっちり合わせた幅広シールを使うのが一般的になったことが限界傾斜を押し上げているように思う)、ぼくらは細身の板で、クライミングサポートを使わずなるべくジグザグを切って登るのが好みのスタイルだ。しかし、ある程度以上の急斜面でジグザグを切るとどうしても板の横ずれが発生して登れなくなる。スキーアイゼンはこれを押さえてくれるのだ。おかげで今年はどちらの雪渓もシール+スキーアイゼンで登り切ることができた。急斜面は板をかついでアイゼン歩行の方が楽とか安全というご意見もあろうが、ぼくらはこのスタイルが気に入っている。
良さのひとつは、登りと滑りで運動の感覚があまり変わらないこと。最近のツアーモード切替式テレビンディングは使わないし、クライミングサポートも使わないので、シールが貼ってあること以外はずっと同じ操作感覚だ。思うに、このことによるメリットは、(1)一日中同じスキー操作をするので体感が単純(登っているときにも、滑りの練習ができる、といってもいいかも)、(2)板と足の一体感が保たれるので、急斜面でのキックターンなどシビアな状況でも安定した操作ができる、(3)たとえバランスをくずしても、要するに滑っているときと全く同じ体勢になれるので、恐怖感が少ない、等々。あくまでも自分にとっては、ということですが。
白馬大雪渓では、前回は6月初めで、白馬尻小屋は組み立て中、大雪渓は赤いマーカーが印されて、夏山シーズン準備中という感じだったが、半月以上早い今回は、猿倉の駐車場脇からスキーで歩き出せる状態。前はヤブこぎもあった白馬尻までの道もサクサクのぼれた。白馬歩行者天国だなぁ(というほど雑踏はしていないけど)と、点々と登っていく人々を眺めながら登り詰めた山頂からは日本海と能登半島がよく見えた。登り6時間、下り1時間。
針ノ木雪渓では、マヤクボの出合で滑りのシュプールを見定めて、峠への谷とマヤクボの間の尾根状を登ると雪がつながってそうとふんだのだが、正解だった。頂上左の一段下がったところで稜線に上がって登了。同行のjotenki氏がアイゼンで山頂を目指すのを見送る。マヤクボ出合までの滑りはとても快適。ハイマツの中に雷鳥が隠れているのを双眼鏡で見つける。人が多いなぁ、いやだなぁと思っていたに違いない。
Googleアルバム「Hakuba & Harinoki」もご覧下さい。
5年前との大きな違いはスキーアイゼン(クトー)を使うようになったこと。最近はクライミングサポートを高く立てて直登に近い登りをする人が多いが(板の幅が広くなり、それにきっちり合わせた幅広シールを使うのが一般的になったことが限界傾斜を押し上げているように思う)、ぼくらは細身の板で、クライミングサポートを使わずなるべくジグザグを切って登るのが好みのスタイルだ。しかし、ある程度以上の急斜面でジグザグを切るとどうしても板の横ずれが発生して登れなくなる。スキーアイゼンはこれを押さえてくれるのだ。おかげで今年はどちらの雪渓もシール+スキーアイゼンで登り切ることができた。急斜面は板をかついでアイゼン歩行の方が楽とか安全というご意見もあろうが、ぼくらはこのスタイルが気に入っている。
良さのひとつは、登りと滑りで運動の感覚があまり変わらないこと。最近のツアーモード切替式テレビンディングは使わないし、クライミングサポートも使わないので、シールが貼ってあること以外はずっと同じ操作感覚だ。思うに、このことによるメリットは、(1)一日中同じスキー操作をするので体感が単純(登っているときにも、滑りの練習ができる、といってもいいかも)、(2)板と足の一体感が保たれるので、急斜面でのキックターンなどシビアな状況でも安定した操作ができる、(3)たとえバランスをくずしても、要するに滑っているときと全く同じ体勢になれるので、恐怖感が少ない、等々。あくまでも自分にとっては、ということですが。
白馬大雪渓では、前回は6月初めで、白馬尻小屋は組み立て中、大雪渓は赤いマーカーが印されて、夏山シーズン準備中という感じだったが、半月以上早い今回は、猿倉の駐車場脇からスキーで歩き出せる状態。前はヤブこぎもあった白馬尻までの道もサクサクのぼれた。白馬歩行者天国だなぁ(というほど雑踏はしていないけど)と、点々と登っていく人々を眺めながら登り詰めた山頂からは日本海と能登半島がよく見えた。登り6時間、下り1時間。
針ノ木雪渓では、マヤクボの出合で滑りのシュプールを見定めて、峠への谷とマヤクボの間の尾根状を登ると雪がつながってそうとふんだのだが、正解だった。頂上左の一段下がったところで稜線に上がって登了。同行のjotenki氏がアイゼンで山頂を目指すのを見送る。マヤクボ出合までの滑りはとても快適。ハイマツの中に雷鳥が隠れているのを双眼鏡で見つける。人が多いなぁ、いやだなぁと思っていたに違いない。
Googleアルバム「Hakuba & Harinoki」もご覧下さい。
2010年5月14日金曜日
Making the best of the second good news






2010年5月13日木曜日
Happy encounter in deep Tsurugi - a story
「あ、何かどこかで見たようなと思ったら、やっぱりMさんでしたか。」
三の窓に突き上げる長い長い斜面を登っている途中、さーっと先行していった単独行の山スキーヤーと、我々グループの先鋒のボルトマンが立ち話しているところに追いついたら、楽しい出会いが待っていました。「むらちゃん」の名前でブログを公開しているMさんとは、5年前に剱沢小屋でご一緒して、その日Mさんが滑った大脱走ルンゼの様子を聞きながら楽しく飲んだことがあります(剣山頂から滑り出してもなかなか下が見えてこないんですよ、というコワイ話とか)。Mさんは、竹前さん(十石山のシュルンドで亡くなった山スキーと雪崩対策の伝道者)を介してボルトマンとも知り合いだったので、すぐに皆意気投合。その日は、三の窓を往復して剣山荘に戻る僕らと、三の窓から池の谷左股を滑って馬場島に降りるMさんというふうに一旦お別れしたのですが、Mさんは翌日立山川を登って来るというので剣山荘での再会を期したのでした。
今年の剣山荘はあいかわらず空いていて、しかも3人グループだったので個室までもらってしまって、快適に3泊させてもらいました。窓が二重窓になって断熱性が良く、去年は少し寒かった食堂兼談話室もぽかぽかでした。三の窓の翌日、長次郎谷左股を往復してきて軽く昼寝でもと思っていたら、ボルトマンが「Mさん、来ましたよ!」。早速お出迎えに行って、夕食まで延々と山を肴にドリンクタイムが続いたのでした。
Mさんのもたらした朗報は、白萩川は徒渉なしに馬場島まで降りられる!、立山川も馬場島から室堂乗越まできれいにつながっている!の二つ。白萩川は、剱岳以北の西面に刻まれた池の谷や仙人谷の水を集めて馬場島に流れ込んでいる川ですが、たいていの年は馬場島直前のタカノスワリというところで徒渉か高巻きが必要になります。私たちが以前に大窓越えというルートで白萩川を降りたときも、結構な水量の徒渉になって難儀をしました(ロープ確保がないと危険なレベル)。それが無いと聞き、また明日はMさんも大窓越えで再び馬場島に向かう(山スキーの猛者なのになぜかポピュラーな大窓越えが未踏との意外な発言)と聞いて、それまで考えていたゆるいサブプランは一気に吹っ飛び、これは一緒に行かせてもらうしかないと衆議一決したのでした。(二番目の朗報も後日使わせてもらいました)
というわけで、4人パーティーでのぞんだ翌日の大窓越え。まずは二股までの剱沢滑降、平の池への登り、小黒部谷への滑降、そして大きな雪庇がはりだす大窓を目指しての登りというクライマックス。崩れやすい雪をだましながらの難しい登攀をボルトマンがリードしてくれました。そして、まるでゲレンデのような大窓直下の快適な滑り、それに続くデブリの海をひたすら耐える下降(板に縦溝がいくつもできました。直進安定性が向上?)。池の谷出合直前に出現した高巻き。と、様々なドラマの末に、約束通り大きなスノーブリッジでタカノスワリを難なく通過し、山桜の咲く馬場島への扉は開かれたのでした。
道端の草付きに咲くカタクリやショウジョウバカマ、イワカガミたちを愛でながら、そして剱連山の岩峰を振り返りながら辿る馬場島への道の楽しさ。馬場島というところはクルマで行ける上高地のようなところだなぁといつも思います。また、その自然の美しさを愛でに来られる富山の人たちのようすがまさに自然体で美しい。馬場島荘という、地上に降りた山小屋(宿の人たちがあったかい、それでいて設備は超快適)で、山菜の天ぷらや岩魚のご馳走をいただいて、山の良さを全身に感じた一夜でした。
Googleアルバム「Tsurugisawa Days」もご覧下さい。
(追記:Mさん=村石等さんは2017.5.4に奥穂高岳南面の扇沢を登攀中に雪崩でお亡くなりになりました。)
三の窓に突き上げる長い長い斜面を登っている途中、さーっと先行していった単独行の山スキーヤーと、我々グループの先鋒のボルトマンが立ち話しているところに追いついたら、楽しい出会いが待っていました。「むらちゃん」の名前でブログを公開しているMさんとは、5年前に剱沢小屋でご一緒して、その日Mさんが滑った大脱走ルンゼの様子を聞きながら楽しく飲んだことがあります(剣山頂から滑り出してもなかなか下が見えてこないんですよ、というコワイ話とか)。Mさんは、竹前さん(十石山のシュルンドで亡くなった山スキーと雪崩対策の伝道者)を介してボルトマンとも知り合いだったので、すぐに皆意気投合。その日は、三の窓を往復して剣山荘に戻る僕らと、三の窓から池の谷左股を滑って馬場島に降りるMさんというふうに一旦お別れしたのですが、Mさんは翌日立山川を登って来るというので剣山荘での再会を期したのでした。
今年の剣山荘はあいかわらず空いていて、しかも3人グループだったので個室までもらってしまって、快適に3泊させてもらいました。窓が二重窓になって断熱性が良く、去年は少し寒かった食堂兼談話室もぽかぽかでした。三の窓の翌日、長次郎谷左股を往復してきて軽く昼寝でもと思っていたら、ボルトマンが「Mさん、来ましたよ!」。早速お出迎えに行って、夕食まで延々と山を肴にドリンクタイムが続いたのでした。
Mさんのもたらした朗報は、白萩川は徒渉なしに馬場島まで降りられる!、立山川も馬場島から室堂乗越まできれいにつながっている!の二つ。白萩川は、剱岳以北の西面に刻まれた池の谷や仙人谷の水を集めて馬場島に流れ込んでいる川ですが、たいていの年は馬場島直前のタカノスワリというところで徒渉か高巻きが必要になります。私たちが以前に大窓越えというルートで白萩川を降りたときも、結構な水量の徒渉になって難儀をしました(ロープ確保がないと危険なレベル)。それが無いと聞き、また明日はMさんも大窓越えで再び馬場島に向かう(山スキーの猛者なのになぜかポピュラーな大窓越えが未踏との意外な発言)と聞いて、それまで考えていたゆるいサブプランは一気に吹っ飛び、これは一緒に行かせてもらうしかないと衆議一決したのでした。(二番目の朗報も後日使わせてもらいました)
というわけで、4人パーティーでのぞんだ翌日の大窓越え。まずは二股までの剱沢滑降、平の池への登り、小黒部谷への滑降、そして大きな雪庇がはりだす大窓を目指しての登りというクライマックス。崩れやすい雪をだましながらの難しい登攀をボルトマンがリードしてくれました。そして、まるでゲレンデのような大窓直下の快適な滑り、それに続くデブリの海をひたすら耐える下降(板に縦溝がいくつもできました。直進安定性が向上?)。池の谷出合直前に出現した高巻き。と、様々なドラマの末に、約束通り大きなスノーブリッジでタカノスワリを難なく通過し、山桜の咲く馬場島への扉は開かれたのでした。
道端の草付きに咲くカタクリやショウジョウバカマ、イワカガミたちを愛でながら、そして剱連山の岩峰を振り返りながら辿る馬場島への道の楽しさ。馬場島というところはクルマで行ける上高地のようなところだなぁといつも思います。また、その自然の美しさを愛でに来られる富山の人たちのようすがまさに自然体で美しい。馬場島荘という、地上に降りた山小屋(宿の人たちがあったかい、それでいて設備は超快適)で、山菜の天ぷらや岩魚のご馳走をいただいて、山の良さを全身に感じた一夜でした。
Googleアルバム「Tsurugisawa Days」もご覧下さい。
(追記:Mさん=村石等さんは2017.5.4に奥穂高岳南面の扇沢を登攀中に雪崩でお亡くなりになりました。)
2010年4月27日火曜日
1年ぶりのロープウェイ


2010年4月20日火曜日
白馬days(手抜きバージョン)





2010年4月6日火曜日
妙高山を大きくぐるっと





Camera: Canon PowerShot S90
2010年3月30日火曜日
奈良にはBD-1がよく似合う





登録:
投稿 (Atom)