2017年11月13日月曜日

レアなマウントアダプター

「オールドレンズ・ライフ2017-2018」の大特集「本物のレンズ沼へようこそ」に、Argus C3(通称Brick=レンガ)のレンズが使えるアダプターが紹介されていたので買ってみた。販売元は正に「Rare Adapters」。検索してwebページを見てもあまり商品がなく、実質はそこからリンクされているeBay(seller ID: ramir73)での取引となっている。送料も入れて4,500円ほどで手頃だがeBayを使い慣れていないと敷居が高いかも。ブリコラージュ工房ノクトでも買えるが2万円弱と高価だし、Lマウントになるだけなので更にアダプターが要る(紹介記事)。

Argus C3はレンガと言われるだけあってかなり分厚いカメラなので、アダプターも厚くなる。買ったのはEマウント用だが、他にもメジャーなミラーレスマウントはカバーしている。よく見ると仕上げの粗さが目立つし、このハデな色はいかがなものか(青いところと、その根本の黒いところまでがアダプター)とも思うが、機能的には、無限遠調節もついているし、問題ない。(対するノクト製は、色は黒一色でふつうというかまとも。)Argus Cintarトリプレットレンズの写りはわるくない。

Argus C3。レンズは距離計ダイヤルと歯車で連動して回転する。レンズを取り外すには、まずこの連動歯車を取り外してから、レンズを反時計方向に回す。英語マニュアルはここ。100mmと35mmレンズが用意されていた。何だかバラック建てのようなカメラだが、意外に工夫が凝らされたカメラだと、触ってみて思った。
F3.5(開放):背景のボケは、ややグルグルだが、Metalmickeyの作例よりはまし。個体差か。
F3.5:像の平坦性は怪しいが、そのせいで立体感というか良い雰囲気。
F3.5:花にやや焦点を合わせそこねたが、全体的にはまあまあか。
F5.6:5.6まで絞ってもフォーカスは浅い。素直な色合い。
F5.6:出芽酵母でのオートファジーをイメージしたモニュメント。逆光気味だがわるくない。
F5.6:前ボケはわずらわしいが、飛行機の姿が美しい。無限遠調節がうまくできた。
F5.6:地衣類と古木の雰囲気よし。

2017年7月21日金曜日

山本鼎・山本太郎親子

碧南の藤井達吉現代美術館に行ったのをきっかけに、「藤井達吉の生涯」という本を読んでみた。なかなか難しいところの多かった人のように思えるが、拾い読みをしていると工芸に関して立場の近い山本鼎という画家が、岡崎の自宅近くの生まれなので興味を惹かれた。

鼎は5歳で岡崎を離れ、東京の版画工房での修行やフランス・ロシア滞在を経て、版画家、洋画家となり、それまで手本の模写が主だった子供の図画教育に対して自由画教育を提唱したり、農民美術運動を展開した(作品は父一郎が医者として開業し、鼎も晩年を過ごした上田市の美術館にコレクションがある。美術館のショップで買った本、神田愛子著「山本鼎物語―児童自由画と農民美術 信州上田から夢を追った男」が面白かった)。左図は「藤井達吉の生涯」から。
鼎の息子は、太郎・次郎の二人で(シンプルなネーミング)、山本太郎は詩人。彼は、辻まことと友人で、そのきっかけは父同士が友人だったためとどこかに書いてあった。つまり、辻潤vs山本鼎。前から持っていた山本太郎著の「山の彼方の」という本を引っ張り出して読んでみると、親子4人の様子を見事に活写した文章が見つかった。春の雷鳥荘での読書とうまくつながって気持ちよかった。
(追記)辻まことの実像については、駒村吉重著「山靴の画文ヤ 辻まことのこと」が丁寧な取材を重ねてかなり迫っていると思う。これを読んで知ったが、実はもう一組親子のような人たちがからんでいる。武林無想庵と山本夏彦だ。前者は小説家・翻訳家、後者は雑誌「室内」で知られる編集者・エッセイスト。夏彦は父の詩人山本露葉に死に別れて無双庵のやっかいになった。無双庵は辻潤の友人で、最初辻を外遊に誘ったのだが果たさなかった。夏彦は辻まことと友人であり、無双庵の娘イヴォンヌ(両親とも日本人だがパリ生まれのため、通称イカ公)を巡って三角関係となる。

2017年4月24日月曜日

雷鳥荘読書での発見

雷鳥荘の書棚は結構面白い本がある。今回は一泊だったのでざっと眺めただけだったが、写真の「辻まこと・父親辻潤」。冒頭のアナーキスト辻潤のアナーキーな年譜を見ていたら、大正5年11月(同年4月に妻伊藤野枝が家出)から比叡山の宿坊に長期滞在していたところ、宮嶋資夫が騒動を起こしたのに連座して翌年6月に宿坊から追い出された、とあった。これでふと思い出したのが、このところ紀行文が気に入っていろいろ読んだ若山牧水。「比叡山」という短編の中で、ためこんだ仕事を静かなところで片付けようと、友人が何日でも泊めてくれるからと勧めるのに従って、比叡山の宿坊にやってきたら、宿坊のばあさんに「この節は泊まりは一泊限りです」とけんもほろろの応対をされて面食らったという下りがあった。結局、ふと休みに入った茶店のオヤジに相談して、爺さん一人で寺守りをしている荒れ寺に転がり込んで、麓に酒を買いに行かせては、爺さんたちを相手に酒盛りをするという顛末が短編になったのだから良かったのかもしれないが、なぜ宿坊でそのような応対をされたかは説明がなく気になっていた。牧水の年譜をwebで調べなおすと比叡山を訪ねたのは大正7年5月。まさに1年前にややこしい連中が騒動を起こしていたので、宿坊にもチェックが入りそういう方針になったのだろう。雷鳥荘の部屋で寝転がりながら、kindle本を読み返し、webをチェックしてこういう調べものができたのだから愉快だった。