亡父はスキーをする人で、定年退職するまでは、会社のスキー旅行で年に一回鉢伏山なんかに行っていた(大阪だったので)。でも若いときはもう少し遠くに行っていたようで、この写真のコケシもそのひとつ。物心付いたときから、コケシ入れのガラスケースに入っていて、「あかくら」とはどんなところなのかなぁと、こどもの私は思っていた(その後こんなに良く行くところになろうとは思いませんでしたが)。今気がついたのだが、背景の山がちゃんと赤倉の形になっている。コケシの台座の裏には毛筆で「昭和二十八年二月」と書いてあった。父のスキースタイルはおそらく始めた時からあまり変わってなくて、紐締めの革靴にカンダハービンディングでボーゲン専門だった。今では貴重品のアザラシの毛皮のシール(クライミングスキン)もある。晩年に、菅平と黒姫に二回お供できたのが良い思い出だ。菅平では僕がそそのかして、当時根子岳山頂まで飛んでいたヘリスキーも一緒に体験したが、気流が悪くて一度山頂近くまで行ってから引き返して、二度目でやっと山頂に着いたときには二人とも乗り物酔いでふらふらだった(わるいことをしたな)。肝心のスキーは、酷寒の中を圧雪路を辛うじて降りてきたというぐらいであまり覚えていない。