2019年7月4日木曜日

村山槐多展

美術博物館での「琉球の美」展に続いて、子ども美術博物館で「村山槐多展」があった。22歳で結核で亡くなった画家の、子ども時代に絵を描き始めたころから亡くなるまでを通観できる良い(赤裸々な)展示だった。子ども時代の、望遠レンズで建物の各部を引き写した製図のような絵から始まって、青春真っ只中で模索を続けた作品たちまで。その模索の最中で死が訪れることの無念さが伝わる。詩作も多く、ガランス(赤茶色の絵の具)を多用した絵に対応する「一本のガランスをつくせよ」というフレーズは、なぜか記憶にあった。油絵による印象派ふうの絵画では、木の下の暗い世界から陽の当たる梢までダイナミックレンジの広い表現が見事で、光の輝きに高揚感がある。
山本鼎とは母親同士が岡崎出身の姉妹で、鼎も槐多も幼くして岡崎を離れたものの、二人とも岡崎ゆかりの画家に違いない。洋行する直前の鼎が、使っていた油絵の具を槐多に残して油絵を描くことを勧めたというエピソードもあるそうだ。今回発見された多くの作品も、その死をいたんだ友人たちが死後に分け合って大事に持っていたものが世に出たという経緯のようだ。必ずしも近くにいて快適な人ではなかったろうが、その天才ぶりを皆が認めて将来を楽しみにしていたのだろう。高村光太郎が死の16年後に彼を「強くて悲しい火だるま槐多」と表した詩から、そんな気持ちが伝わってくる。Eテレの日曜美術館で取り上げられたを後で見たが、詩との対比がうまくつくられていて、理解が深まった。